少ない暮らしになるほど、ただ軽くなるだけではなく、自分にとって本当に残したいものが見えてきます。

物を減らすと、
暮らしは軽くなると言われます。

それは確かに、一部では本当です。

片づいた空間。
探し物が減る。
視界が静かになる。

けれど、
私が感じた変化は、もう少し違うものでした。

少なくなると、「何を持っているか」がはっきりする。

それまで、
たくさんの物の中に紛れていたものが、急に輪郭を持ち始める。

残ったものに、自然と目が向くようになります。

お気に入りのカップ。
よく着る服。
触れるたびに安心する素材。

それらは、
ただ残ったのではなく、自然に残ったもの。

減らすことは、失うことではありませんでした。

むしろ、関係を選び直すことだった。

以前の私は、必要かどうかで物を選んでいました。

便利か。
役に立つか。
損をしないか。

けれど、
それだけでは長く続かない。

生活の中で、何度も触れたくなるか。

それが、静かな基準になっていきました。

持たないというのは、拒否ではありません。

余計な重なりを減らすこと。

そうすると、
残ったものが自然に息をし始める。

部屋の空気が少し軽くなる。

視線が迷わなくなる。

そして、自分の動きも少しだけゆっくりになる。

社会は、多く持つことを勧めます。

新しいもの。
速いもの。
効率的なもの。

それは便利で、
確かに役に立つ。

けれど、
増えるほどに、感覚は忙しくなる。

私はある日、
棚の上を空にしました。

何も置かない。

最初は少し落ち着かなかった。

けれど、
しばらくすると、そこに光が落ちるようになりました。

何もない場所は、何もないのではなく、
余白でした。

持たないというのは、減らす行為ではなく、
余白をつくる行為なのかもしれません。

余白があると、新しいものが入る。

ではなく。

自分が戻ってこれる。

少ない暮らしの中では、残ったものとの関係が前よりもはっきり見えてくる

それが、
いちばん大きな変化でした。

持つことをやめなくてもいい。

ただ、
少しだけ減らしてみる。

ひとつでいい。

それだけで、
暮らしの速度が変わることがあります。

そして気づく。

豊かさとは、
多さではなく、
触れ続けられるものの数なのだと。

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第28回|特別じゃない日を生きる──日常という静かなリズム

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こうした考え方は、ミニマリズム(最小限主義)という生き方にも近いものがあります。