音を減らしていくと、世界が遠ざかるように感じることがあります。
静かな部屋。
何も鳴っていない空間。
最初は心地いい。
けれど、しばらくすると、なぜか落ち着かなくなる。
静けさは、ただ心地いいだけではありません。
ときどき、自分から目を逸らせなくなる場所でもあります。
私は以前、その感覚を避けていました。
逃げようと思えば、逃げられます。
音を足すこともできる。
画面を開くこともできる。
別の思考に移ることもできる。
それでも、ときどき。
逃げられるのに、なぜか立ち止まってしまう瞬間。
戻ってきてしまう静けさがあります。
そしてそのとき、
選ぶことになる。
留まるか。
離れるか。
静けさは心地いい。
けれど同時に、自分だけが止まってしまったようにも感じる。
だから以前は、音を足していました。
音楽を流す。
動画をつける。
誰かの声を部屋に置いておく。
静けさを壊すためではなく、現実とつながっている安心が欲しかったのかもしれません。
けれど、ある日気づきました。
必要だったのは、音ではなく、戻り方だったのだと。
静けさは、現実から離れる場所ではありません。
むしろ、現実へ戻る前の余白です。
何かを始める前の呼吸。
世界ともう一度つながる前の、ほんの短い間。
窓の外で誰かが歩く音。
遠くを通る車の気配。
湯が沸く小さな音。
それらは急に現れるのではなく、静けさの中でゆっくり浮かび上がってきます。
音を足さないという選択は、何かを拒絶することではありません。
むしろ、必要なものだけを迎える姿勢です。
刺激を重ねて現実に戻るのではなく、現実そのものが静かに近づいてくる。
私はこの感覚が好きです。
静けさの中にいると、思考は少しずつ薄くなります。
判断しなくていい時間。
役割を持たなくていい場所。
けれど、そこで終わりではありません。
ある瞬間、ふと体が動きたくなる。
水を飲む。
カーテンを開ける。
机の上を少し整える。
大きな決意ではなく、小さな動き。
それだけで、世界は少しだけ近づいてきます。
静けさは逃げ場でありながら、橋でもあります。
離れるためではなく、戻るための場所。
音を足さないという選択は、世界を遠ざけるのではなく、自分の速度で迎え直すことなのかもしれません。
そして気づけば、現実は以前よりも柔らかく感じられる。
何も変わっていないのに、呼吸だけが少し深くなっている。
静けさのまま、世界に触れる。
それは、とても小さな変化です。
けれど、戻るということは、きっとこういうことなのだと思います。
次は
第24回|目を使いすぎていないか──視覚を休ませる習慣

