街を歩いていると、
ほとんど匂いを感じないことがあります。
空気は整えられ、
建物は清潔で、
誰かの存在を示す気配は、できるだけ消されている。
それは快適です。
不快なものに触れなくていい。
余計な刺激に邪魔されない。
けれど、ときどき空虚に感じる。
無臭の安心が広がるほど、かえって何かが遠くなったように感じることがあります。
無臭の安心が広がる時代に、少しだけ空虚さを感じる理由
私は以前、その感覚の理由が分かりませんでした。
ただ、
「何かが足りない」と思っていた。
匂いは、目に見えません。
けれど、
記憶にいちばん近い感覚だと言われます。
古い木の匂い。
雨の前の空気。
誰かの家の台所。
説明しなくても、
体が思い出してしまう。
それは、とても個人的で、
少しだけ曖昧な感覚です。
だからかもしれません。
匂いを消すことは優しさであり、同時に距離でもある
現代の空間では、匂いはできるだけ消される。
無臭は、安心の象徴になりました。
誰にも迷惑をかけないし、誰の存在も強く主張しない。
それは優しさでもあります。
けれど同時に、何かを遠ざけている気もする。
無臭の安心は快適ですが、ときどき生活の気配まで薄くしてしまいます。
匂いは、境界を曖昧にします。
自分と外側。
過去と現在。
思いがけない記憶が、ふと立ち上がる。
だから制御しにくい。
だから消されやすい。
ある日、古い喫茶店に入ったとき、少しだけ安心しました。
木の匂い。
コーヒーの香り。
長く使われた空気。
完璧ではない。
けれど、そこには時間がありました。
匂いは、
「今ここ」だけではなく、
積み重なった時間を連れてくる。
無臭の空間では、
それが少し薄くなる。
清潔で、
安全で、
整っている。
でも、
少しだけ遠い。
匂いがあるということは、
誰かが生きていた証でもあります。
料理の残り香。
本の紙の匂い。
洗い立ての布。
それらは、
生活が通った痕跡です。
私は、
匂いを強くする必要はないと思っています。
ただ、
完全に消してしまわなくてもいい。
少しだけ残っている。
それだけで、
空間はやわらかくなる。
匂いのある安心は、感じても大丈夫だと思えること
匂いは、世界との距離を近づける感覚です。
見えないけれど、
確かに触れている。
だからこそ、
怖さもある。
でも同時に、
深く安心できる。
無臭の安心と、
匂いのある安心。
どちらが正しいという話ではありません。
ただ、ときどき。
完全に整えられた空気の中で、
少しだけ息苦しさを感じたなら。
それは、
あなたの感覚が間違っているのではない。
もしかすると、
忘れていた匂いを探しているだけかもしれません。
そして気づく。
安心とは、
何も感じないことではなく、
感じても大丈夫だと思えることなのだと。
無臭の安心と匂いのある安心は、どちらも暮らしに必要な感覚なのかもしれません。
次は
第26回|持つことと感じること──モノと五感の静かな距離

