物が増えるほど、
安心できると思っていた時期があります。

必要なものを揃え、
便利な道具を選び、
暮らしを整えていく。

それは間違いではありません。

むしろ、
暮らしを支えるために必要なことです。

けれど、
あるところから、
少しだけ違和感が生まれました。

物が増えても、
感覚が満たされない。

新しいものを手に入れても、
すぐに静かになってしまう。

喜びが短い。

それは、
満足していないというより、
触れていない感覚でした。

現代は、
選択肢が多すぎます。

機能。
性能。
デザイン。
評価。

選ぶ理由はたくさんある。

けれど、
その中で忘れられやすいのが、
「触れたときどう感じるか」ということ。

モノは本来、
五感とつながる存在です。

手に持ったときの重さ。
布の柔らかさ。
音の響き。
匂い。

それらは説明できなくても、
確かに体に残る。

私は以前、
必要以上に物を減らした時期がありました。

ミニマルであることが、
正しいと思っていた。

確かに、空間は整いました。

けれど、
少しだけ味気なくなった。

空白は増えたけれど、
触れるものが減っていた。

そのとき初めて気づきました。

大切なのは、
持つか持たないかではない。

どう関係するかだった。

物を所有することは、
世界との接点を持つことでもあります。

毎日触れるカップ。
履き慣れた靴。
長く使っている机。

それらは、
ただの道具ではなく、
時間の記憶を宿していく。

消費の速度が速いほど、
関係は浅くなる。

すぐに新しいものに置き換えられる。

けれど、
長く使うものは、
少しずつ自分の一部になる。

私は最近、
新しいものを選ぶとき、
ひとつだけ問いを置くようになりました。

これは、
長く触れていたいと思えるだろうか。

便利かどうかより、
好きかどうかより、
触れ続けられるか。

その感覚は、
静かに答えを教えてくれます。

モノは、
多くても少なくてもいい。

ただ、
感覚を通して関係しているかどうか。

それがあると、
暮らしは少し落ち着く。

持つことは、
支配ではなく、
対話なのかもしれません。

そして気づく。

満たされるとは、
増えることではなく、
触れ続けられるものがあることなのだと。

次は

第27回|持たないと豊かになる──少なくすることで見えてくるもの

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