整っているはずなのに、落ち着かないときがあります。
部屋もきれい。
予定も整理されている。
やるべきことも見えている。
それなのに、どこか息が浅い。
私は以前、「整えること」に安心を求めていました。
余計なものを減らし、
無駄をなくし、
正しい配置を探す。
整えば整うほど、
きっと楽になるはずだと思っていた。
けれど、あるとき気づきました。
完璧に近づくほど、
少しだけ居心地が悪くなる。
何かが間違っているわけではない。
ただ、自分がそこに入る余白がなくなっていた。
暮らしは、本来もっと揺れています。
少し散らかる日。
気持ちが追いつかない日。
予定通りにいかない日。
そういう揺れを消そうとすると、
生活は「完成品」になってしまう。
整った空間は美しい。
けれど、ときどき息苦しくなることがあります。
完璧な空間には、失敗する余白がありません。
だからそこでは、人は少しだけ息を潜めてしまう。
そして、長くいられないのかもしれません。
私は、机の上にひとつだけ物を残すようになりました。
読みかけの本。
途中のメモ。
まだ終わっていないもの。
それだけで、呼吸が楽になる。
整っていないからではなく、
まだ途中でいていいと感じられるから。
整いすぎないというのは、
手を抜くことではありません。
むしろ、信頼です。
崩れても戻れると知っていること。
自分が多少不完全でも大丈夫だと知っていること。
それがあると、暮らしは急にやさしくなる。
弱さや迷いを消そうとすると、
自分という存在まで薄くなってしまう。
欠けている部分は、
直すためだけにあるわけではない。
そこにしか入らない光があります。
整いきらない場所は、
呼吸が止まらない場所です。
揺れがあるから、戻れる。
完璧ではないから、居続けられる。
私は、不完全さを残す暮らしのほうが好きです。
少しだけ余白を残す。
少しだけ崩れたままにしておく。
それは諦めではなく、
生きている証拠に近い。
整いすぎない暮らしは、
安心できる速度を取り戻します。
何かを達成したときではなく、
ただそこにいるだけでいいと思える瞬間。
それが増えていくと、
世界は少し静かになります。
そして気づけば、
何も変えていないのに、
自分の中の緊張だけがほどけている。
整いすぎないことは、
崩れるためではありません。
戻れる場所を残しておくためです。
次は
第23回|音を足さない選択──静けさのまま現実に戻る

